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Vol.17 無料提供馬ハイアーラヴ'13管理予定 黒岩陽一調教師



黒岩:
さて!本日は棟広さんと一緒に。。。

水野:いやいやいや・・・



黒岩:ああ、間違えた(笑)。

水野:では、改めまして、本日は棟広さんと一緒に黒岩厩舎にお邪魔しております。先生、この間、ハイアーラヴ’13の話をじっくり聞きたかったのですけれども、もうとんでもなく酔っ払ってらして。。。

棟広:あの会は皆さんもりあがっていただきました。

黒岩:実は、最初の頃は矢作先生とか二ノ宮先生のお話を聞いていたのですけれども、だんだん聞けていない雰囲気になってきまして。。。

棟広:会場の形など聞きにくいところもありましたからね。

水野:大和田先生は、黒岩先生に話させるのならばもっと早くにしなければ駄目だって突っ込んでらっしゃいましたよ。それは最初に言ってくれないと分からないですよ~。

黒岩:いや、ビールを飲んだだけなのですよ。

水野:ビールだけで?

黒岩:ビールだけでした。

水野:本当にびっくりしましたよ。詳しいお話を全然おっしゃっていただけなくて「どうですか、近況は」と聞いたら「2歳になりました」とか言っていて。それはみんな、分かってます!!って。

黒岩:なるほど。鋭いですね。

水野:会員の皆様はすごく楽しかったと思いますよ、先生のあんな姿を見られて。

棟広:確かにそうですね。時間も押していて、とても大変でしたけれども。

水野:そうですね。でも、今回、こういう場をあらためて持たせていただいたので、詳しくハイアーラヴ’13の話だけではなく、せっかく厩舎にお邪魔したので、先生のお時間を頂いて、先生の人となりを改めて会員の皆様に、ちゃんとしているのだよというところをお伝えしようかなと思ってお聞きしたいと思います。ぜひアピールしてください。「こういうところが私のいいところです。」というように(笑)

黒岩:人間、誰しも一つぐらい?

水野:いえいえ、たくさんあると思っていますので(笑)

黒岩:分かりました(笑)

水野:棟広さんは昨年の年末に会われたのが初めてだとか。

棟広:昨年末が初めてですね。

黒岩:そうですね。

水野:その時は話されました?

棟広:いや、少しだけでしたね。

黒岩:あのときは少人数の会合でしたのに!

棟広:前回のイベントよりは話していると思います。イベントの時も、いろいろテーブルを回って、先生のテーブルも行ったのですが少しでしたね。

水野:回られていたのですか。

棟広:一応、全部回っていましたよ。

水野:プロデューサーとしてですね。

棟広:そうですね。いろいろ回ったのですけれども、やはり会場の形から前のステージが見えないテーブルとかもあり、反省点はありました。

水野:そうだったんですね。
では、あらためて、棟広さんが広尾との関わりを持ったのは今年からですか?去年からですか?

棟広:先生とお会いした時は、まだ正式に広報アドバイザーという立場ではなかったのですが、今年からその立場となりました。
広尾のスタッフの堀がきっかけなのですが、社会に出てから話してみると、大学の先輩後輩だったという話はよくありますが、そうではなくて、学生のときから知りあいでして。ハナズゴールのオーナーのマイケル・タバートもそういった大学のときの繋がりです。3人とも大学のときの京都大学競馬研究会で一緒でした。3人が学生で、それぞれ競馬が趣味という時代ですよね。3人が社会に出て、お互いに立場は違いますけれども、競馬が仕事になって、それが一つの形になったのが今というわけです。

黒岩:そうなんですね。

棟広:なかなか面白い流れです。

水野:どれぐらいの規模のサークルなのですか。

棟広:卒業しながら参加している者もおりますが、20人ぐらいですね。今ははっきりとは分かりませんが。

水野:棟広さんの世代では3人が競馬というわけですね。正確にはマイケルさんは競馬関係ですね。

棟広:馬主をして5頭以上持てば、事業になりますから、そういった意味では仕事ですかね。彼は馬主という立場ですけどね。

水野:サークルという趣味や遊びの範囲で集った中から、20分の3がそれを仕事か事業にしているというのもすごいですね。

棟広:その当時は仕事になると想像はつかなかったですけれども。やはり今まで生きてきた人生の中で一番好きなものが競馬というのは間違いなかったです。自分の中では全然、ぼんやりとしていて分からなかったのですが、何かの形にしたいというのは少しはありました。
私の場合は本当に何もないところから、ずっと一人でやってきましたが、今年からこうして広尾サラブレッド倶楽部とこういうことが今できているというのは、すごいプラスに感じていますし、勉強にもなっています。



水野:広尾サラブレッド倶楽部は、これまでもパーティーなどの会員の皆様が集まる催し物というのを比較的多くしてきていますが、先日の棟広さんプロデュースでは、今までにあまりなかったお楽しみなど、コンテンツがふんだんに盛り込まれたパーティでしたね。先生、覚えているかどうか分からないですけれども、どうでしたか?

黒岩:会員の皆さんと関係者が一つのテーブルに座るというのが新鮮でした。他のクラブなどでは見られない光景ですよね。

棟広:それは関係者の方々からしたら、少しは抵抗がある方もいらっしゃるとは思いますが、関係者だけのテーブルを作ってしまうと、積極的に声をかけに行ける人は限られて、関係者と触れ合うことが出来ないと考えました。そこで、あのような形を取らせていただきました。

黒岩:はい。私はそのテーブルの中ですごく楽しむことができました。

水野:あの席順は事前に参加者に第一希望をお聞きして席順を決めていたのですよね。

棟広:そうです。誰と話したいというアンケートを事前に採っていまして、なるべく希望に沿うようにはしました。

水野:すごいですよね、きちんと考えられて、あの仕組みはすごいなと思っていました。

黒岩:確かにそう思いますね。なかなか希望に合わせて席順を決めるのは難しいですよね。100名ですと組合わせも何万通りにもなりますし、それを考えるのは大変でしたでしょう。

棟広:もちろん会員向けのパーティーでもありますけれども、会員にまだなっていない方も躊躇せずに参加できるようなパーティーにしたかったのです。

黒岩:私の周りには4名いらしたのですが、皆さん、会員さんではなかったです。会員になりたいとは申してましたが。

棟広:そういった方に気軽に来られるというのが狙いだったのでよかったです。そうしなかったら、メディアに出ている自分がプロデュースするという意味があまりないのではないかなと思ったのです。会員の方だけであれば、気軽な雰囲気はできていますしね。

水野:それはnetkeibaさんでの告知がよかったのでしょうか。

棟広:netkeibaに毎週コラムを書いているのですが、ニュースというのをして欲しいとお願いしたのです。ファンと関係者の集いということで、公益性もあるので、了承していただけました。私も友人や知り合いを何人か呼んで、他クラブで一口やっている人もたくさんいたのですが、私に近い人間でも広尾がどういうことをやっているかを知らないという人が多いですね。広尾がやっていることを分かってもらえたらという気持ちでした。そして、ホームページを見たらこうした対談なども見ることになりますよね。こうしたことをやっていることでも知らない人がすごく多いということを感じました。

水野:そうですね。コラムやメールマガジンに会員の方でなくても来られますよと言っても、なかなか広がっていかないですよね。

棟広:そうなんです。大体抵抗を持っている人が多いですね。ですので、広尾が強みとしている他クラブよりも関係者とファンが近づけるというのを前面に出していきたいというのがありました。関係者の方々には、初めての方ばかりになるわけですから少々抵抗がある方もいらっしゃったと思いますが、それも承知の上で、あのような形を取らせてもらったのです。
もちろん一番理想なのは会員になってもらうことですけれども、こうして来られた方が、イベントのリピーターになって、あのようなパーティーだけでも顔を出してもらい、他クラブよりもアットホームなのだというのを感じてもらえればというのが狙いでした。

黒岩:狙いどおりというわけですね。

水野:アットホーム感は伝わりにくいですからね。

棟広:間違いなく一番大変だったのは水野さんやと思いますよ。

水野:いやいや。

黒岩:水野さんは座るタイミングがなかったですよね。

水野:座る席を設けていただいていたみたいなのですけれども、戻る時間がなかったので、席の方とお話ししたかったです。

黒岩:その分、イベントの内容が濃かったと思います。

棟広:いくつかコンテンツがある中で、10分とか15分ぐらいの歓談の時間を用意していたのですが、まずスタートが20分ぐらい押してしました。。

水野:そうですね。

棟広:もうとんでもなかったですね。

水野:いや、お笑いの方もものすごく空気を読んでいただいて、一発ギャグみたいなのを三つ四つでさっと終わってくれたので。短くて申し訳なかったです。盛り上がるシーンだったかと思いますし、長く取っていただくべき方なのですけれども。

棟広:そうなんです。ただ、彼はもうリサさんの近所にいて、ずっと英語で笑わせていたので、十分、仕事はしてくれてました。リサさんは日本語が分からないので、二ノ宮先生が丁重に前で挨拶されていたのを、何を言っているのか、全然分からないので、彼がそれを訳したりしていました。

水野:私も彼がリサさんの横に立っていただくのを期待していましたが、芸人の方に通訳させてしまったのは申し訳なかったです。

棟広:一応、後で聞いたところ、壇上に立つ時間はあまりなかったですが、会自体は楽しんでくれていたみたいです。

水野:本当ですか。では、またリベンジですね。1回目があれほど大きな催しで、大人数でというのもなかなかないので、改良改良を重ねて、第2回、3回と、もう少し構成を練り直して次につなげていきたいですね。

黒岩:では、次は私もいっぱいしゃべって大丈夫ですか。

水野:大丈夫です(笑)
それではそろそろ、本題に入っていきましょうか。先生は早稲田高校から日獣(日本獣医生命科学大学)という獣医学部に進まれたのですが、どの段階から競馬の世界に携わろうと思っていらしたのですか。

黒岩:私は中学の頃から。雑誌でも、テレビでも、ゲームでも競馬って目に触れやすいところにあったんです。

棟広:ゲームの効果は大きいですよ。
園部さんの「ダービースタリオン」などが有名です。園部さんだって、ゲーマーから今の本当の馬主になっているではないですか。バランスオブゲームとか。あと、マイケル・タバートも、私らも時代は一緒ですけれども、大学のときにそのゲームをすごくしていて、馬主になって、それをネタに実際に園部さんと対談しましたからね。

黒岩:すごいですね。

水野:ゲームからというのもロマンがありますね。

黒岩:ゲームからですね。二次元からですね。

棟広:でも、よくできたゲームでした。そのゲームでも、マイケル・タバートートはやり過ぎて、日本の代表になるような馬とかを生産していましたから。週刊Gallopなどでもすごい馬が集まってきて、毎週レースをやるのですが、それでも随分と上のクラスまでいきました。

黒岩:私の後輩で、今度、関西で調教師になった齋藤崇史というのがいるのですが、彼も雑誌レベルでしたよ。私なんか、全然、ゲームはそんなにはまらなかったのですけれども、彼らの年代、私の後輩になりますが、名前を付けるところから強さが違うらしく、メモリー1個1個に名前を全通りつけたりしていますので、多分、タバートさんレベルだと思います。

棟広:なるほど。面白いですね。

水野:でも、先生はゲームではないのですね。

黒岩:ゲームもやりましたが、やはり競馬というのがどうなのだろうと気になったのです。そうすると雑誌もよくありましたし、テレビも割とやっていましたので、触れることができたのです。今よりももっとテレビ放映はやっていたような気がしますね。

棟広:高校生のときは、実際に競馬を見るぐらいですか。

黒岩:そうですね。中学のときにナリタブライアンの競馬を見ました。日本ダービーで、生まれて初めての日本ダービーの実地観戦でした。当時はすごい人が多かったです。

棟広:多かったですし、ファンに見せるように大外を走りましたね。

水野:レース中に見せるためだったのですか?

棟広:力が抜けていましたしね。要するにジョッキーの南井さん、不利を受けなければ勝てるというので、1頭だけすごい外を回ったのです。そのコース取りというのは、現地だったら相当なインパクトだったのではないでしょうか。

水野:へえ、すごい。

黒岩:本当、徐々に外に出していったんです。でも、しっかりと脚は持つようにしていましたよね。

水野:進学の話に戻りますが、高校を選んだのも、将来を見据えてのことだったのですか。

黒岩:中学高校一貫だったのですけれども。
早稲田には本庄と、実業と、学院と、あと早稲田高校があって、私はその中高一貫でした。
だんだん進路って、理系だ、文系だと分かれて、何となく理系なので、やはり何となく大学に行くようなという感じでしたけれども、でも、一時は本当に高校を辞めてすぐに競馬の世界に入りたいと思っていました。
当時、甘い誘いをするオーストラリアの厩務員学校があって、実際は関係者を紹介してあとは働かせるだけというものだったのですが、そういったところに興味を持っていました。それでジョッキーになったりしている人はいますけれども狭き門でした。



棟広:そうですね。今になるときちんとしてきましたけど、だいぶ苦労した生徒は多かったかと思います。

黒岩:今でもどうやって競馬業界に入ったらいいかは分からないですよね。今、日本にも厩務員予備校みたいなものはありますけどね。

水野:へえ。厩務員課程ではなくて?

黒岩:そうです。厩務員課程に進むための学校があるんです。中には、1年分の給料、学費をもらって、3カ月ぐらい授業をして、あとの9カ月は牧場に研修に行かせてしまうとか。そのようなスタイルのところもありましたね。

棟広:なるほど。そういったのも考えたわけですね。

黒岩:考えたけれども、最終的には、進学してほしいという親の意向もありまして。それはそうだろうなと思いまして。でも、そのまま早稲田大学に行っても理系でどのような額部があるかというと理工か教育の生物とか人間科学などになってしまって。やりたいことがなかったんです。それで進学するのだったら、みんなとは違うけれども、馬のいるところに行ってみようというところで日獣にしました。先々を見据えてといえばそうですが、それでしたら馬がいるし、家からも通えるし、獣医の資格も取れるしという選択でした。当時は本当に詳しくは知らなかったのですけれども。

水野:では、厩務員という考えもあったけれども、先々を見据えていけるというのは、調教師を目指してという先々ですよね?

黒岩:そうですね、やはり調教師というのは、何となくありましたね。

水野:獣医として活躍することは考えなかったのですか。

黒岩:取りあえず、高校までは競馬のサークルへの入り方が分からないので、大学に入って、何となく馬術部に入ったのです。そうしたら、そこが幸運なことに、結構JRAの方につながりの強い大学で、監督がJRAのスターターをやっているような人であったりしました。あと、先輩も結構、調教師になっていたり、厩務員になっていたり、もちろん獣医師もいたり。それで部活をしながらも、だんだん具体的な道筋が見えてきて、JRAとのつながりも、行き方もだんだん分かってきましたね。それこそ同期とか先輩の中には、そういうつながりが強いと知っていて入ってきた仲間もいました。

水野:その方々は情報通ですね。

黒岩:そうですね。私は全然知らずにさっき申し上げたような、近くて通えるとか、資格が取れたらいいなとか、あまりそこまで考えて入らなかったのですけれども、結果的にはJRAにつながりの強い大学で良かったかなと思っています。

水野:大和田調教師もこちらでご一緒だった?

黒岩:そうですね。大和田先生は完全に裏口入学だと思うのです(笑)

棟広:血統ですか(笑)

黒岩:馬術部が強かったので、それで入ったのではないかと(笑)

水野:馬術部としては、レベルはどのくらいのレベルだったのですか。

黒岩:そこまで上ではないですけれども、毎年、全国大会に行けるレベルではありました。

棟広:もちろん馬も元JRAの競走馬というわけですね。

黒岩:いましたね。高橋裕先生とか、鈴木伸尋先生、あと栗田博憲先生の出身馬がいましたね。

水野:それは豪華ですね。それでは裏口入学の(笑)大和田さんにはどのようなことを教えていただいたのですか。

黒岩:私、実際はこの競馬サークルに入るまで、全然、面識はなかったです。それこそ調教師になるまでですね。

棟広:大学時代はかぶっていないのですね。なるほど。

黒岩:かぶっていないです。

水野:かぶっていないんですね。年齢は近いですよね。

黒岩:大和田先生、意外とお年かと思いますよ。

水野:本当ですか。お若いと思っていましたた。見た目が若いですから。

黒岩:4~5歳は違うと思います。でも、結果的に大和田先生の奥さまと私は3つ違いで、奥さまが4年生のときに私が1年生でしたね。それでも大和田先生本人は調教師になるまで面識はなかったです。

棟広:そうすると最近ですよね。

黒岩:本当、そうなんです。ここ3年か4年か。なりたての頃に、北海道に行ったりとか、競馬場で会ったりとか、行動パターンが似ていることが多いので、それで意外と気さくにお声掛けいただいて、私も全然、いや、失礼な意味ではなくて、そんなにあまり気を使わない先輩だったので。気楽にお話しさせてもらっています。

水野:奥さまには何か教えていただいたりとか、そういうつながりはありますか。

黒岩:やはり奥さまも馬術経験者でいらして、奥さまは4年生で私は1年生ですから。私は本当に未経験で入ったので、先輩に教えてもらいました。優しい奥さまです。

棟広:なるほど。学年がそれだけ離れていても、大学の中でつながりがあるのですね。

黒岩:そうですね。大和田先生は全然大学の中での繋がりはありませんが、最初のきっかけは、同じ大学を卒業した先輩ということです。それ以上に良くしてもらっているとは思いますね。

水野:大学の馬術部に入って「よし、これはもう絶対、調教師だ」という確信を得たのは、馬に携わり始めてどういうきっかけでしたか?

黒岩:馬術部をやりながらも、やはり獣医の勉強もやっているので最終的にはというところでしたね。

水野:獣医の中でそういった方は多いでしょうね。

黒岩:それはそれで需要が多いですし、仲間の多さで、犬猫もいいなと考えたりもしましたけれども。現役の競走馬に触るようになったのは、本当、最後の方ですね。馬術部の監督がJRAの関係者でして、競馬場で藤澤調教師を紹介してくださって、うちに来なさいという流れでミホ分場で働かせてもらうこととなりました。当時、私の同期生もいろいろな牧場に行きました。ノーザンファームへ行ったり、メジロ牧場へ行ったり、同期はすごい多いですね。

棟広:最初は獣医としてミホ分場に入られたのですか。

黒岩:もうそのときは5年か6年ぐらいだったのですが、馬術部自体は4年で終わってしまうんですよ。あと空白の2年間があるのですけれども、でも、その間も先輩の乗馬クラブに通って乗せてもらいに行ったりとかして、馬に乗る中でちょっと考える時間はありましたよね。

棟広:そうなると、もう獣医ではなくて、馬をつくる方ですよね。

黒岩:はい。やはり馬をやりたいとなると、実際、牧場に行かなければいけないので、監督に相談して、藤澤調教師を紹介していただいた。それはすごく幸運でしたね。そこで引き合わせていただいたのは。

水野:どんなことを教わって、今、生かされていますか、藤澤先生からは。

黒岩:そうですね。馬に関しては、やはり元気な状態で競馬場に送り出すということ。あと本当に重要なのは、慌てないということ。

水野:自分が?

黒岩:馬を慌てて競馬に行かせないということです。あとは人の扱い方。最初から調教師になるつもりでやりなさいとは言われました。調教師のつもりでやっていれば、調教師でなくても、人にしても、馬の扱いにしても、最初の意識から違いますね。

水野:違いますね。

黒岩:「どうせやるのだったら早い方がいいし、調教助手を10年やっていても、調教師になって全然違うから、最初は絶対苦労するけれども、最初から調教師になった方がいい。」という教えを頂きました。それこそもうすごい発破はかけられましたね。調教助手を10年ぐらいやったら、試験を受けてみようかなとか、そのような年数を経過する必要はないですし。

棟広:ミホ分場で、調教のつもりでやってみろと言われたとすると、厩舎全体を見たりといった勉強をしますよね。そこでもう筆記とかの調教師の勉強も始めてられていたのですか。

黒岩:いや、さすがにまだやっていなくて。競馬学校に入るために必要な2年間を過ごして、そこから競馬学校に6ヵ月入りました。

水野:そうですね。何か従事していないといけないというのがあるのですね。

黒岩:そうなんです。私の時は、2年間の牧場実地経験が必要だったんですよ。24で大学を出て、26になる春に牧場経験を終えて、競馬学校に入って、その9月に厩舎に入りました。2年間はそういうつもりで働きなさいという教えでしたから、何でもかんでも、自分がもし調教師だったらという働き方でしたね。

水野:一番最初にお世話になったのが、トップレベルの方というのがものすごいアドバンテージですよね。

黒岩:すごく教えとしては。馬づくりもそうですし、何よりも人です。人にうまく自分の描いたように動いてもらえるようにするというのですね。

水野:その後で、卒業されてすぐに入ったのが勢司厩舎?

黒岩:最初、勢司厩舎に3カ月、加藤和宏厩舎に3カ月です。

水野:それは、3カ月というのはどういういきさつでそういう期間なのですか。

黒岩:当時は、臨時という形でした。

水野:それは自分で選んで、臨時のところに行けるのですか。上から持ってこられるのですか?

黒岩:そういう臨時の募集があるんです。新卒者が何人かあてがわれるのですが、同時面接ですね。調教師も何人かいらして。
ドラフト制みたいな形で選ばれていきます。調教師の中でも、指名できる順位などがあったりします。

棟広:WITH募集で2頭を管理する加藤先生についてお聞かせいただけますか。

黒岩:加藤先生の時に、私は、1カ月と少しの間、まるまる小倉へ行かせていただいたことがありまして。

水野:3カ月の中の1カ月もですか。

黒岩:2頭の担当となったのですが、1カ月の滞在で、自分が同じ馬に乗り続けることとなるので、どれぐらいやったら、どういう競馬を迎えるなという、経験則を見につけることができました。勢司先生のところでは、同じ馬に毎日乗るというわけでもなかったので、そういった経験が貴重でしたね。

棟広:しかも小倉だったら、ダートと芝しかないですかね。

黒岩:そうですね。もうほとんど各馬場とダートで乗っていましたね。

棟広:ダートなんて特に、雨が降ったら、めちゃくちゃになってしまいますよね。

黒岩:本当にそうですが、あまりそこは触れずに(笑)
加藤厩舎では番頭さんが毎日ミーティングをやって全体の状況が分かるようになっていましたし、番頭さんを介して、まとまりのある組織だったと思います。

水野:小倉にいたのは3カ月の中のどの期間だったのですか?

黒岩:冬の小倉に行ったので、ちょうど真ん中ぐらいですかね。

水野:では、1カ月で黒岩先生に預けても大丈夫という信頼を得て、任されたのですね。

黒岩:やはり行きたい人は多かったので、結果的には素晴らしいチャンスを頂けたという感覚です。
ただ、当時の私は全然、その行くメリットもデメリットも分からなかったです。

棟広:加藤先生もそういうのを決める際に単に行きたい人に行かせるのではなくて適性を考えていた可能性はありますね。

黒岩:先生はたまにミーティングとかに来るのですけれども、指示が的確な感じはしましたね。

水野:馬もよく見ているとおっしゃるけれども、人もきっとよく見ていて、預けても大丈夫だと思われたのだと思います。

黒岩:すごい、持ち上げますね。

水野:だって、例えば寝坊癖があるとか、見ていないところで掃除も適当にしていたり、仕事を何となくやるような人だったら、1カ月も任せられないです。

黒岩:それはそうかもしれないですね。

水野:最初の1カ月でそういうのが見えてきたのでしょうね。

棟広:今までの話だけでも意識の高さをすごい感じます。

水野:そうですね。明確なビジョンとか、目標というものを持っていらっしゃる。

棟広:確かに後から人生を振り返って、この部分は無駄だったなと思うのは気づけなかったりします。そういった期間をいかに排除するかは、大事ですけれども、一番難しいことだと思います。

水野:また、先生の世代って、大学のときはまだネット社会ではなかったと思うので、情報収集なども今よりも難しくて、それこそ情報量は何百分の一とかの状態の時からそういう道を歩んでこられたというのがすごいと思います。

黒岩:そこは最初の馬に携わり出した馬術部からですが、そこから周りの人に恵まれたというのはすごくありますね。いまだに、横を見渡しても、当時の仲間がたくさんいますし、そこから始まったのがこの競馬サークルのつながりです。全部そこからです。
実は、加藤和宏先生がジョッキーのときも、私、大学の馬術部から何人か、応援部隊に行ったりしていました。
和宏先生のファンの集いがありまして、梅丘の美登利寿司で、年に2回ぐらいやるのですよ。

水野:美登利寿司とは豪勢ですね。

棟広:発起人はいらっしゃったのですか。

黒岩:発起人はファンの方で、一般の社会で働いている方なんです。その方がまとめて、窓口でやっていましたけれども。普段はお仕事をされていますから、手伝いにいつも4人ぐらい馬術部から行くんです。それこそ、配膳のお手伝いから、ご案内、最後は一発芸をやるというのが流れでしたね。

水野:美登利寿司で?

黒岩:そうです。そういうのがあって、私は結構行っていました。

棟広:確かに競馬関係者と触れることができる、その時代だったら、貴重な機会ですもんね。
自分もそうですね。大学生や高校生だと、競馬が好きでも、新聞記者なども含めて競馬を仕事にしている人と触れ方が分からなかったです。

水野:そうですよね。知り合いを介すとか、紹介でないと。

棟広:そうなんですよ。学生のときは。競馬を仕事にするしないというのは私の中ではまだ分からなかったですけれども、やはり競馬が好きで、競馬関係者と会いたいというのがすごくあったので、私の周りでももしそういうのが近くにあったら、絶対参加していたと思います。

黒岩:そうですね。触れ合い方は分からないです。今はネットなのかもしれないですけれども、今でも、結構分からないと思いますよ。

棟広:分からないですよ。

水野:今、何でも情報が得られて、アナウンサーになりたいといったら、実況のスクールに行ったりしますよ。アナウンサーの山本直也さんなんか、出待ちがいて「聞いてください」と言われるらしいです。何をかというと「私の実況を聞いてください」と。

黒岩:すごいですね。

水野:その後、鹿戸先生のところに行ったということですね。これは3カ月ではなく、ある程度の期間はいらしたのですよね。

黒岩:もうそれはずっとです。実は勢司先生のところは3カ月で打ち切りに決まっていたのですけれども、加藤和宏先生を3カ月で終わった経緯は、もう鹿戸厩舎が開業するというのが背景でした。そこは加藤先生には申し訳ないですけれども、助手、特に攻め専として仕事をしたかったのです。今は攻め専ではない人も調教師になれますけれども、当時は攻め専から調教師というのが定石だったので。

棟広:持ち乗りの助手で合格したのは、関西の森田直行先生が初めてでしたよね。

黒岩:あと、私の同期の高橋文雅先生も、持ち乗りでしたね。攻め専の助手というのは、当時は必要な条件だったので、すぐにでも攻め専になりたかったのです。

棟広:なるほど。あとは藤澤先生ラインというのもありますものね。鹿戸先生ですから。

黒岩:そうですね。ちょうど開業して、人が採れるタイミングですぐ声を掛けていただいたというのが背景です。

水野:鹿戸先生のイメージや厩舎で学んだことなど、他の先生と違うところはどんなところでしたか?

黒岩:鹿戸先生は上から押さえつけるというよりもうまく人を誘導するような感じがすごく、雰囲気としても、みんなが楽しくしているという感じはありますよね。だから、厩舎の雰囲気づくりとしてはすごくいい先生。
藤澤先生はどちらかというと、結構厳格なタイプで、馬に対しても、人に対しても、そういうところがあるのですけれども、鹿戸先生は逆に結構任せてしまいます。調教師になったばかりの鹿戸先生は外からの厩舎事情は知っていたかと思いますが、厩舎の実情がどういう風なのかは知らなかったかと思います。それでも結構任してくださいましたので助かりました。先生にとっては意外と知らないことが多いけれども、任せることで結果として雰囲気づくりは良かったです。



棟広:厩舎のことを知るのは、調教師になられてからですからね。

水野:でも、いろいろなタイプの経営者がいると思うのですが、どれも自分の性格だったり、働く人の性格だったりで、どれが正解とかはないと思うのですが、黒岩先生の場合は何人かの調教師を経験して、自分の性格もあるけれども、どのタイプが自分に合って今に生かされているていると感じますか。
例えば、今登場した藤澤先生の厳格主義、鹿戸先生の放任主義でいえば、どの辺に入るのですか。

黒岩:そのちょうどいいとこ取りですね。

水野:びしっと押さえるときはあるのですか。

黒岩:あります、あります。

水野:何か穏やかな感じで、そんなのは言わなさそうなんですけれども。

黒岩:私がそういった厳しい面を見せているのを他の人が見ると、すごく驚かれますね。足して2で割らないと。

水野:それは、自分が少し締めようと思っているときにガツンと言うのか、それとも鼓舞しようと思ってガツンと言うのか、どういうときですか?

黒岩:どちらもあります。やはり基本的にはこの現場は私が全部できる仕事はないので、現場のスタッフが頑張らなければいけないところはありますよね。任せるところは任せなければいけないと思いますし、現場に責任感を持たせるところは持たせますし、そこのバランスはすごく必要かなと思います。投げっ放しでもやはり、だんだん方向性が間違っていったりするので、私がするのは、軌道修正は必ずするようにはしていますね。

棟広:なるほど。今も乗られますか。

黒岩:自分で感覚を掴むときは今も乗りますよ。

水野:黒岩厩舎は、担当制ですか。それとも?

黒岩:担当はあるのですけれども、調教に関しては誰でもやります。調教って乗るのもそうですし、準備運動であるとか整理運動もあります。午前中は誰かが特定の馬に触るということはそんなにないです。どの馬も、どの人でも扱えるようにしていますので。午後に関しては、担当があります。そういった意味で、朝のチェックと午後には担当制がありますね。

水野:調教師試験に受かってからすぐに開業されるのですか。

黒岩:私の場合は、早いです。合格して3カ月後には開業していました。

棟広:そうですよね。中館先生とかそうですよね。
順番待ちであると、その間にいろいろ勉強もできますけれども、特に中館先生なんて、開業直前までジョッキーをやっていましたからね。ジョッキーをして、辞めて、すぐ調教していましたよ。

黒岩:これはちょっと条件的には厳しいですね。
私も、本来であれば、1年とちょっとの間、まず一番は馬集めで、ごあいさつ回り。あとは厩舎や、牧場や、それこそ海外に行って、いろいろ見て回る。そういう経験ができる準備期間というのは、本来は欲しかったですね。いくら早く開業した方がいいと思いつつも本当にちょっと時間が足りな過ぎました。
ですので、最初の1年というのは、まず馬がいないという状況もありますけれども、本当に具体的な準備期間というのはなかったですよね。馬を集めていたら、もう3月1日になってしまったような感じだったので。準備期間としていろいろ見るという機会はもっと欲しかったですね。

水野:それで、開業したら一緒の目で評価されるわけですから、「ちょっと待って!」という気持ちもありますよね。

黒岩:かなりありましたよ。若葉マークとか付けてほしい。

水野:そうそう。向こうは準備期間があっただろうって。

黒岩:準備期間があったし、こちらは3月からだし。

棟広:調教師の減量とかね。

水野:そうでしょうね。調教師減量で10kgぐらい見てもらえるとか。乗れるジョッキーはもう女性しかいなくなりますね(笑)

黒岩:詳しい方は開業1年目であるとか、開業日が遅いとか、14馬房だとか、12馬房かなどいろいろ知っているのですけれども、リーディングリストは、ぱっと見で勝利数でしか出ないのでその比較はすごく苦しかったですよね。同じ土俵の上に立って、立ってしまった以上はもう言い訳ができなくなってしまったので。

水野:そうでしょうね。同じ土俵に立つと、なかなか聞いて回ることもはばかれるなどありますよね。どうすればいいのですかなどといった相談はやはり鹿戸さんにされるのですか。

黒岩:でも、私の場合、最年少であったので、割と何の抵抗もなくできました。ましてやプライドもないわけですから。もう困って、いろいろ聞いているような状態でしたね。そこでいろいろな方にお聞きしたり、手を差し伸べていただいたりというのはできました。それで本当に多くの方には助けていただきました。厩舎、調教師もそうですし、牧場の関係者もそうですし、馬主さんもそうですし。自分が最年少であるというのがあり、どこでも行けてしまうという状況がありました。

水野:そうですね。ご苦労したと聞くけれども、私たちはそれこそ数字だけしか見るところがなくて、ファンの方なんか特にそうで、その中で黒岩さんは、成績がすごい。開業をしてまだ間もないのに、成績を上げていらっしゃるというお一人なのですよね。

棟広:全体の勝ち星だけれども、確実に伸びていっていますね。

黒岩:その点は、まずはやはり馬が1~2年目は何頭かいる状況だったのが、集まってきました。馬主さんにもお声掛けいただけるようになりました、だんだんと。その質に関しましても、だんだんと上がっていったという背景があります。実際、何か変わったということはありません。私の厩舎の強みは、何か変えて強くなったのではなくて、鹿戸先生や藤澤先生のところから学んで、こうあるべきだと思ってやってきたことを大きくは変えずにおりました。だんだんと成績を上げてこられたというのは、すごくぶれないところがあったからだと思います。



棟広:自分が学んできたことが間違っていなかったという証明にもなりますしね。

黒岩:はい。そこが、最初は従業員の中でも付いていって大丈夫かという不安はすごいあったと思うのです。成績も成績ですし。でも、それが間違いなく、言うとおりといったら変ですけれども、その方針に沿ってやってきて結果が出たということは、今の厩舎のすごい強みになっていると思います。あっちやこっちへ行って、何をやってきたか分からないけれども、取りあえず勝ってしまったというのではないので。

棟広:なるほど。そういったお話に関連してシャトルアップのことについても聞きたいですね。

水野:会員の皆様の中では、黒岩厩舎イコールシャトルアップを預かってくれているというイメージの方も多いと思うのですけれども。

棟広:1000万クラスを勝つとは素晴らしいです。

黒岩:いや、私もその当時は勝つとは思っていませんでした。ダートでも、芝でも、入着がギリギリで、ようやく5着あたりに入れるといったレースをしていた馬ですから。
ただ、ちょうど全く違うレースを選ばなければいけないということは思っていました。その時に千直が合うか合わないかは、はっきり言って分からなかったです。ただ、同じことをしていても、同じぐらいの結果しか出ないというのは明らかでしたので、1回やってみたかったというのはありました。その結果、本当に適正がすごく高かったというところですよね。これには本当、正直、予想以上でびっくりしましたね。千直なんて思いもしなかったです。

水野:藤澤厩舎では、芝は1600mだけしか走っていなかったと思うのですが、まさかという感じですね。

黒岩:まさかですね。もう何かやっていろいろやって駄目ならしょうがないというところの一つの挑戦だったのですが、それがうまくいって、本当によく頑張ってくれていると思います。

棟広:この後も、夏の新潟ですよね。

黒岩:そうですね。やはり8月29日の千直でいきます。なかなか他の条件では厳しいところがあるので、せっかく千直のレースがありますし、そこを今、目指しています。

棟広:最近の黒岩先生の成績を見ていると新馬勝ちなど2歳戦の成績が目立つのですが、何か特定の育成場ですとかこだわりはあるのですか?

黒岩:こだわっているわけではないです。私は特定の育成場というのは定めていないんです。馬主さんのご希望に添うような育成場で、預けていただいた馬をやっています。私にも便を考えた場所の希望がないわけではないですが、ある程度の希望は言うものの、それぞれの育成場にお任せしています。希望内容としては「大体、これぐらいの時期がいいんじゃないですかね」とか。
それで順調に体力をつけて、生育段階が競走に耐え得るレベルになれば、送ってもらっています。餅は餅屋で、私も育成場のことは信頼して、ちゃんと走れる状態になるまで待って送り込んでもらっています。(藤澤先生の教えにあったように)そこも無理していないという意味ではそうですね。行ったときは、ちょっと時期の早いことをやっているななどは分かりますので、希望は出すようにします。

棟広:ミュゼの馬主である高橋仁さんとの出会いというのは。

黒岩:それは大江原先生からのご紹介でした。馬主さんが馬主さんより若い調教師を希望されていたことからでした。

水野:馬主さんより若い調教師を?

黒岩:今後のことを考えてとのことですね。1厩舎でやるよりは何厩舎かに分けた方がいいと。その中で馬主さんより若い調教師という条件でたまたまお声掛けくださっただけですね。

棟広:でも、馬を選んでいるのって、馬主さんが選んでいるのですか。ミュゼの馬は、私はすごいなと思います。値段が高いだけではなくて、コスパがすごいなと思います。

黒岩:血統を好きな人にまず選んでもらって、あと馬体チェックは調教師と牧場関係者でやってというフィルターに掛ける作業はやっていますね。セレクトセールを見ても、血統的にも馬体でも両方で残る馬はほとんどいないので、確率はそれで上げられていると思っています。

棟広:ミュゼエイリアンは重賞を勝ちましたしね。秋は菊花賞路線ですか。

黒岩:そこを目指していますね。今から休養して、お盆ぐらいに戻ってこられればいいかなと思っています。

水野:もう一つお聞きしたいのはオーパルスを一口持っているのですが、どうでしたか?

棟広:オーパルスも成績が伸び悩んでいましたが、まさか障害であんなに走るとは思いませんでしたね。

水野:何かこう、私は、血統は分からないのですけれども、お母さんを見ていると短距離でしょうと思っていたので、3000mとか走れるのかなと思っていました。ですので、びっくりしました。おなかもいつもぷよっと見えていたし。飛ぶときにおなかが当たるのではないかと思っていたくらいです。

黒岩:オーパルスはシャトルアップよりはいい着順で走っていましたけどね。何かワンパンチ足らなかった印象です。ちょっと障害までは考えづらかったです。
ただ、それが中山みたいな、スピードよりは器用さの出るコースで開花した。あの勝ち方にはびっくりしました。

水野:馬も年齢がいっても、環境をがらっと変えることで、才能が開花することってあるのですね。

黒岩:あるのですね。いろいろやることが必要だと思います。距離はもちろんですけども、ダートなのか、芝なのか、固執せずにいろいろやってみなければ分からない。

水野:割とファンの人とかも、もちろん一口持っている人もそうですけれども、ずっと同じ距離で全然成績が出ないのだったら、早く条件を変えてほしいと思っていますよね。障害とはなかなか思いつきませんが。

棟広:条件を変えて欲しいという想いは間違いなくありますね。

黒岩:それはやはり同じことだと思います。やって駄目なら仕方がないという部分も持ちながら、どんどんやっていった方がいいとは思いますね。馬に関しては。競走馬は競走年月がすごく短いので、そういう対応は必要かと思いますよね。

水野:でも、やっている陣営の方にとっては、同じコースの同じ距離だったとしても何かが違うわけで、メンバーも違えば、展開も違うし、騎手が違うかもしれないし、騎手が同じでも何か違うかもしれないし。そこで、でも、私たちはそれを読み取れなかったりするので、早く条件変えてほしいなとか思ってしまう。ここの意思疎通がなかなか合致しないですよね。そこがもどかしいところではあるのですけれども。



黒岩:やはりいろいろチャレンジするというのは必要かなと思いますね。

水野:そうですね。

黒岩:でも、正直、障害にはびっくりしました。

水野:びっくりしましたね。本当、本当。

棟広:伊藤正徳先生の十八番だなと。

水野:十八番ですね。

黒岩:そこまでやって駄目だったらという一番最後のラインを知らず知らず引いているかもしれませんが、でも、あの勝利は、それもあるかと実感しました。

水野:そうですね。ハイアーラヴ’13の具体的な話をお聞きしたいのですが、実際、今どういう状況、訓練内容になっていますか。

黒岩:今、美浦トレセン近郊牧場に来て、15-15をやって、1回、トレーニングセールに出られるような状況までなったので、そこまで進めることができたということは、今、少しペースが落ちていても、いい成長を促すというか、休養になると思いますよ。1回そこまでできるということは、どの馬もみんなできることではないので、成長を促す意味でのいい刺激になったと思います。
今、これは成長途中ですけれども、1回やっているのとやっていないのとではだいぶ違うので、もうそれこそ軌道に乗り出したら、デビューまですぐ行けるのではないですかね。





水野:なるほど。今後の課題は、その成長を見守りつつですね。

黒岩:どこがとはいえませんが、まだまだ全体像として大きくしっかりしてくれそうですし、そんな中でも少しちょっと強い負荷の調教ができているので、この成長の曲線がぐっと来れば、すすすっと上がっていけるのではないですかね。そういったクリアするべき大きなことを既にクリアしているイメージはあります。

棟広:竹内さんの血統診断のように、これは血統的にはヨーロッパですよね。思い切りヨーロッパの血なので、成長というのは間違いないですね。私が血統表の字面を見ただけでも、確かに奥が深い、成長がありそうに感じます。

黒岩:そうですね。奥が深い。と思いますよ。でも、こういう重厚な血統背景ですけれども、重苦しさはないですし、それがこの女の子の良さなのかもしれないですね。やはり今の時期、それだけのことができても、スピードが早くてお終いという感じではなく、成長してくれそうな血統ですよね。距離も持ちそうですし。

棟広:デビューからある程度、距離は長めですかね。

黒岩:そうですね。本当、スピードがありそうな馬体で、血統的には距離が持ちそうで。

棟広:いくら追っても大丈夫そうな雰囲気もありますけれども。

黒岩:そうですね。その両面はありますよね。血統背景を見たら、奥が深くて、距離が走れそうです。馬体を見ると、軽さがあるのですよね。女の子なので、やはり気のいい方が出れば面白いです。やはりスピードはあると思うのですよね。中距離以上でスピードが生かせるのではないですか。血統面は重厚ですが走りが重苦しいという感じはないですね。




棟広:それが無料募集ですからね。

黒岩:ただより高いものはない(笑)。イベントで言っていましたけれども。

棟広:それはウケていましたけども。無料の募集馬なので、たくさんの方に持っていただきたいという意図ですね。

水野:そうですね。

黒岩:長く楽しんでいただけそうな血統ではありますよね。早い時期に終わってしまうということではなくて。

棟広:ありがとうございます。牝馬についてはどうですか?

黒岩:牝馬の扱い方といえば、鹿戸厩舎が女の子という感じがすごくします。うまくソフトに扱うといったイメージです。

水野:厩舎カラーに合っていますね。鹿戸先生がマイルドな感じというか、あまり上から押さえつけずに。

黒岩:それは多分、鹿戸厩舎は女の子がいいところなのかもしれないですね。男の子はあんまりです。逆にそのイメージで、男の子があまりいなくなってしまっていますね。決して男の子が調教できないかというとそんなことはないですけれども、実際、女の子で成績が残っているのは、そういう点かなと思います。簡単に言えば、女の子との相性がいいですよね。やはり私が携わってきた中で、そんな感じがします、すごく。女の子は鹿戸先生が接する感じで十分なのだなと。

棟広:なるほど、なるほど。

黒岩:ただ、ソフト過ぎると男だと足らないのかなとかは思います。男だとそれ以上、必要な部分も求められるかもしれませんが。

棟広:なるほど。

水野:近年、競馬全体で近年、牝馬が強いイメージがあるのですけれども。
生産頭数も何か昔より牝馬の率が上がってきている気がして、だから、何かこう、牝馬が強いというよりも、数で対等になってきているのではないかなと思います。

黒岩:やはり日本の、まだ男がよく重宝されますけれども、世界的に見れば、牝馬が重宝されますし、牝馬が戦える条件は結構ありますからね。限定戦であったり。やはり何が何でもみんなと戦うというよりは、そういういろいろな競走条件があるので、牝馬ってそういうメリットもありますよね。

水野:じゃあ、ぜひ、鹿戸流のマイルドなところをここは引き継いでいただいて。

黒岩:私はいいとこ取りなので。

水野:いいとこ取りなので、ここはぜひ優しく優しく接してあげてください。ここから入ってくれる会員の方ももしかするといるかもしれないので、入っている方のお友達とか、ご家族とか。

黒岩:そうですね。思い切ってほしいですよね。

水野:ぜひ一番最初に持つのがこの馬という方もいらっしゃると思うので、いい夢を見ていただけるようにお願いします。

黒岩:そうですね。喜んでいただきたいですね。

水野:すごく長くなりましたが、今回のインタビュー、この辺りで終了とさせていただきます。

黒岩:ボロが出る前に(笑)

水野:ありがとうございました。

棟広:ありがとうございました。

黒岩:ありがとうございます。




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