archives
パンサラッサ、バスラットレオンのサウジカップデー 平松さとしさん現地レポート

矢作芳人調教師擁する広尾サラブレッド倶楽部の精鋭二騎が、今年も海を越えた。
今回、サウジアラビア入りしたのはパンサラッサとバスラットレオン。
前者はメインのサウジカップ(GⅠ)に、後者は1351ターフスプリント(GⅢ)に挑んだ。

「2頭共に順調に来ています」
レース4日前、決戦の舞台となるキングアブドゥルアジーズ競馬場で顔を合わせた矢作師は、
普段と変わらぬ表情でそう語った。
パンサラッサは昨年、ドバイでドバイターフ (GⅠ)に挑戦。同着ながら1着になっていた。
一方バスラットレオンもドバイで走り、ゴドルフィンマイル(GⅡ)を勝っていた。

その後、前者は暮れに香港へ飛び、後者は夏にヨーロッパをラウンド。
「習うより慣れろ」ではないが、旅慣れしていると窺える指揮官の言葉だった。
決戦3日前の水曜日、2頭は最終追い切りを行った。
パンサラッサが先行し、もう1頭の矢作師の遠征馬コンティノアールが追走。
さらに後ろからバスラットレオンが追いかけた。
パンサラッサでタッグを組む吉田豊騎手がコンティノアールの手綱を取り、
バスラットレオンにはレースでも騎乗する坂井瑠星騎手が跨った。

「少し余裕があるように見えたバスラットレオンは負荷をかけたかった」
そう感じた矢作師の指示で、最後方から進んだバスラットレオンが最後は先着。
日本国内でもしっかりと2本追われて既に好仕上がりと感じさせたパンサラッサは流す感じで
2頭にかわされてフィニッシュした。

コンティノアールの背から終始パンサラッサを見ていた吉田豊騎手は次のように感じたと言う。
「リラックスして走っているように見えました。良い感じだと思いました」
また、見守った矢作師は言った。
「予定していた通りの追い切りを消化出来て、皆、良い最終調整になりました」
そんな陣営に朗報が届く。1351ターフスプリントで最有力視されていた馬の1頭、
クリエイティブフォースが出走を取りやめた。追い風が吹いていると思わせる中、
現地時間2月25 日、サウジカップデーを迎えた。

当日、快晴のキングアブドゥルアジーズ競馬場の気温は日中30 度まで上がった。
しかし、第1レースのゲートが開く頃にはいくらか涼しくなった。
そして、17 時45 分発走の第4レース、1351ターフスプリント(GⅢ)の頃には更に涼しさを増し、
とはいえ20 度台半ばの陽気の下、バスラットレオンを始めとした出走11 頭がパドックに姿を現した。

「待機馬房でイレ込んだので、昨夏のドーヴィルの嫌な感じが頭を過ぎりました」と矢作師。
これには馬房内で装鞍する形で対処した。
「昨年までは装鞍所で鞍を置かないといけないルールでしたが、
今年は馬房でやっても大丈夫になったので、活用したところ、
プレパドックへ行く頃には落ち着いてくれました」
だから「パドックでは何とか良い感じになっていた」と続けた。

その上で、ターフ上でタッグを組む坂井騎手と言葉をかわした。
「瑠星と話し合った結果『逃げられるなら逃げよう』という結論で落ち着きました」
逃げると思われていたポゴや、先行力のあるレシステンシアのハナを叩こうというこの作戦が奏功した。
後ろ扉を蹴る癖を、主催者側に伝えた事で、
ゲートインを最後にしてもらえたバスラットレオンは、前扉が開くと真っ先に飛び出した。

「まずスタートを決めないと、と思っていたので、好スタートを切れて良かったです」
坂井騎手がそう思った時、それを見ていた矢作師は「よし!」と感じたと言い、続けた。
「行き切れたのを見て、これで負けたら仕方ないと考える事が出来ました」
ディフェンディングチャンピオンのソングラインら日本馬3頭を含む10 頭のライバル達を引き連れて、
バスラットレオンが逃げ、4コーナーをカーブ。直線に向いた。
「手応えは良かったです」と、坂井騎手。
最後は昨年も2着に好走していたカサクリードが差を詰めて、2頭は馬体を並べてゴールした。
「見ていた場所からの角度だと、負けたと思いました」
最初は天を仰いだ矢作師だが、すぐに周囲にいた人達に「勝っていますよ!!」と言われ、
スローVTRを確認すると、僅かだが確実に出ている事が見てとれた。
結果、アタマ差でバスラットレオンに軍配が上がり、1分17 秒49 の走破タイムで、
彼は芝でも中東の重賞を制す事になった。

「際どかったけど、勝てて良かったです。僕自身、3年連続でサウジに来させてもらって、
初めて勝てたので嬉しかったし、バスラットレオンも昨年のドバイに続きまたしても
海外で勝てて、凄い馬だな、と感じました」
坂井は笑みをみせ、そう言い、勝利の味を噛みしめた。
また、またしても世界を制した矢作師は、次のように語った。
「昨年の夏にヨーロッパ遠征をした際は、初戦のサセックスSで良い競馬をしました。
ところがそれで2戦目のジャックルマロワ賞は人間がイレ込んで、仕上げ過ぎてしまったかもしれません。
今回はそのあたりを考えて調整出来たのが良かったと感じました」
敗戦も次につなげる事で失敗ではなくなる。矢作師の言葉に、そんな真意がみてとれた。
発走予定の現地時間20 時35 分は既に過ぎていたが、
メインのサウジカップ(GⅠ)のゲートはまだ開いていなかった。
遡る事、数分。パンサラッサの鞍上で、吉田豊騎手は好感触を得ていた。
「パドックでは少し気合いが入って、返し馬を終えた後も気持ちうるさい感じ。
これでゲートの中さえ落ち着いてくれればスタートは出てくれると思いました」

レース前、矢作師は次のように言っていた。
「この馬の場合、小細工なしに行くだけです。そのためにはスタートが肝心です」
3日前に行われた枠順抽せん会。5頭目に指名されたパンサラッサは矢作師が籤を引くと
最内1番枠に決定した。逃げ馬ならば本来喜んでも良い枠だが、引いた本人は唇をへの字に曲げた。
「嫌だと思いました。先行力のあるテイバやクラウンプライドが、せめて離れた外の枠になってくれれば、
と思ったら、それぞれ2番、3番に決まった時は『最悪!!』と感じました」
枠順を耳にした吉田騎手の表情もまた、明るくはなかった。
「パンサラッサは逃げ馬だけど、決して一歩目が速い馬ではありません。
それでも日本の競馬なら他の騎手達も(パンサラッサが)行くのを分かっているので
絡んで来ないけど、ここでポンと出てくれなかったら、他の馬に前に入られてしまうかもしれません。

最内枠でそうなればキックバックを浴びて、モマれてしまう危険性があります」それだけに、1番枠は歓迎しなかった。
しかし、ゲート裏で適度に気合いが乗っているのを感じた時「これならスタートを出てくれそう」と、胸を撫で下ろしたのだ。
実際にその手応えに誤りはなかった。
ゲートが開き、絶好のスタートを切ったパンサラッサと吉田騎手は、すかさずハナに立ち、
日本馬5頭を含む他の12 頭を従えてレースをコントロールしたのだ。
「一番怖かったのは他の馬に(先頭へ)行かれて、自分の競馬を全く出来なくなる事でした。
でも逃げられた事でとりあえず自分の形には持ち込める。
負けたとしても自分の競馬をして負けるなら諦めもつくので、まずはホッとしました」見守った矢作師も同じ見解だった。

パンサラッサは過去にダートを一度だけ走り、11 着に敗れていた。
それだけに全く競馬をさせてもらえないのでは?という不安はつきまとっていた。
「ただ、ダート自体がダメだとは考えていませんでした。過去に一回惨敗しているといってもそれは日本での話。
ひと言にダートと言ってもサウジのそれは全く質が違います。これは私の直感ですが、パンサラッサにはここのダートは合うと思うのです」
軽快に馬群を引っ張る愛馬の姿を見て、まずはその見解に誤りがない事を確信出来た。
その後の道中も気持ち良さそうに走るパートナーの上で、吉田騎手は感じていた。
「4コーナーを回っても良い感じだったので、これならそこそこ粘れると思いました」
その走りを見ていた矢作師も同様に考えていた。
「脚質的に着狙いの出来る馬ではないけど、4コーナーでのパンサラッサと、後ろの馬達の手応えからすると
『差されても着には残るな……』と見えました」
慌てて算盤を弾いたわけではないだろうが、着でも賞金の高いレースだけに、
経営者として咄嗟にそういう判断が出来るのも、さすがである。


そして、もう一人、レース前から似たような思考を巡らせていた男がいた。吉田騎手だ。
「もしスタートで遅れても、この馬が勝つ可能性を考えたら途中からでもハナを奪いに行きます。
でも、そうすれば惨敗に終わる確率も高くなります。
今回のサウジは、1着賞金だけでなく、着賞金も大きい事を考えると、果たしてそれで良いのかな?
という気持ちはありました」関係者のためには、臨機応変に切り替えて、着賞金を拾うのも手だと思ったわけだ。
「だから逃げ馬なのにキックバックに備えてゴーグルを三枚も着けていきました」
“備えあれば患いなし”のそんな姿勢があったからこそ、自分の形に持ち込めたのかもしれない。


直線を向くと、日本馬のジオグリフやカフェファラオ、クラウンプライドらが追撃態勢に入ったが、
パンサラッサとの差は詰まりそうで詰まらない。
「昨年の秋の天皇賞の時みたいに最後の最後でパタっと止まってしまう可能性もあるので、
気を抜く事は全く出来ませんでした」鞍上でそう感じながら吉田豊騎手は追った。
1着賞金1000万米ドル(約13 億6000万円)の栄光のゴールまで、
残り100メートルを切ると、伸びあぐねる日本勢に代わり、アメリカのカントリーグラマーが一気に伸びて来た。
しかし、ゴールまでまだあと少しを残した地点で、吉田豊騎手は思った。「勝てる!!」


結果、1800メートルにわたりパンサラッサはただの一度も他馬に先頭を譲る事なく、
1分50 秒80 の時計で真っ先にゴールに飛び込んだ。
そして、その刹那、吉田騎手の鞭を手にした右手が中東の夜空に突き上げられた。
「すげ〜、逃げ切っちゃったよ〜っていう感じでした。
本当にこんな事があるんだなぁって、信じられない気持ちでした」
レース直後、興奮冷めやらぬ表情で、吉田騎手がそう言うと、矢作師も満面の笑みで言った。
「スタートが決まったのが良かったわけだけど、本当にこんな事が起きるんだな、と感じています。
世界中で勝たせてもらってきたけど、サウジでも勝てて、嬉しい限りです」


吉田騎手が改めて言う。
「ダートのここを使った矢作先生が凄いです」
そう言われた矢作師は言う。
「海外で何度も結果を出せずにいたけど、トライアンドエラーを繰り返して、
ようやくチームとして熟成してきた結果だと考えています」
考え得る限り最高の結果となった今回の広尾サラブレッド倶楽部の遠征だが、
もしかしたらこれも次に続く章への一里塚なのかもしれない。
2頭は既に昨年も華を咲かせたドバイに移動している。
バスラットレオンはゴドルフィンマイル、パンサラッサはドバイワールドカップに向かう。
果たして中東で三度目の満開の時を迎えるのか。3月25 日、次なる舞台となるメイダン競馬場に注目しよう。