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パンサラッサ・バスラットレオンのドバイワールドカップデイ  平松さとしさん現地レポート

 「世界一幸せな調教師と騎手になれたわけですけど、終わった瞬間『次!!』と考えてしまいます」
 2月25日のサウジアラビアで、そう語ったのは矢作芳人調教師。この日、かの地のキングアブドゥルアジーズ競馬場で行われた1351ターフスプリント(GⅢ、芝1351メートル)をバスラットレオン(牡5歳)が制したのに続き、メインのサウジC(GⅠ、ダート1800メートル)をパンサラッサ(牡6歳)が逃げ切り。いずれも広尾サラブレッド倶楽部の馬を栄冠に導いた伯楽は、そう言ってすでに次のステージに目をやっていた。
 
 サウジアラビアで勝利した2頭は、帰国する事なく、アラブ首長国連邦・ドバイへと渡った。共に前年にも勝利していたドバイワールドカップ開催に、再びエントリーしたのだ。
 レースを3日後に控えた現地時間3月22日、水曜の早朝。2頭は共に最終追い切りを行なった。揃ってダートコースに入ったが、併せる事はなく、別々に単走での追い切り。昨年に続くゴドルフィンマイル(GⅡ)連覇を目指すバスラットレオンに跨った坂井瑠星騎手が「変わらず良い感じです」と言えば、昨年制したドバイターフ(GⅠ)ではなく、今年はドバイワールドC(GⅠ)に挑むパンサラッサを見守った池田康宏厩務員も全く同じように「変わらず良い雰囲気」と語った。
 また、同じく見守ったのが吉田豊騎手。調教には跨らず、レースでだけ乗るのはいつものスタイル。サウジCを逃げ切ったジョッキーは言った。
 「普段はパンサラッサが栗東で僕は美浦なので、若い時のこの馬がどうだったかは分からないですけど、こうやって今、見る限りではそれほどうるさくはなさそうですよね。これなら僕が乗っても問題ないのかもしれないけど、今までも厩舎サイドに任せて好結果が出ているのだから、無理にやり方を変える必要はないでしょう。自分がここにいても調教に乗らないのは、矢作先生もそういう考えだから、だと思います」
 その上で、目の当たりにした最終追い切りについては次のように続けた。
 「動き自体はバスラットレオンの方が良く見えるけど、これはサウジアラビアでも同じだったので問題ないでしょう。昨日(火曜)の夜、矢作先生や池田さんとも話して『元気で、良い状態を維持している感じ』とは聞いていましたが、実際に見て、そう思えました。暴れるわけではなくリラックスしているし、デキに関しては良さそうですね。後はとにかく展開だけじゃないですか……」
 この日の夜には世界で最も高いビルで知られるバルジュカリファの麓にあるホテルの一角で枠順抽せん会が行われた。サウジCでは最内1番枠が当たったパンサラッサだが、今回のドバイワールドCでは何と真逆の大外15番枠。
 「こればかりはどうしようもないですからね。与えられた枠で頑張るしかないです」
 吉田騎手がそう言えば、矢作調教師も「この馬が力を出し切るパターンを考えたら、どの枠だろうと逃げるしかありません」と、大外からでも行く姿勢を口にした。
 思えばサウジCで1番枠が当たった際、指揮官も鞍上も多少の差異こそあれ、似たような見解を述べていた。当時の矢作調教師の弁は次の通りだ。
 「すぐ隣にスタートの速い馬が入ったし、あまり良い並びとは言えません。出来る事なら少し外よりの方が良かったです」
また、吉田騎手は次のように言っていた。
 「逃げてこその馬だけど、最初のスタートダッシュは決して速くありません。というか、むしろ遅いくらい。最内枠でモタモタしていたら、外から被され、前に入られて万事休すになりかねません。そういう意味では多少、外よりの枠の方が良いかもしれません」
 しかし“多少”ではなく、一気に“大外”になってしまうと、やはり顔をしかめざるをえない。
 「ドバイワールドCの舞台となるダートの2000メートルはコーナーが4つです。スタートしてから最初のコーナーにさしかかるまでは、皆、好位を取りたいでしょうから、この枠からハナを切るのは、簡単ではなさそうです」
 考えてもせんない事と知りつつも、枠順が決まった後は、何度もスタートの瞬間に思いをめぐらせた。「普段(パンサラッサを)見ていないので見ただけでは良いのかどうか分からない」と言いながら、レース前日の金曜日にも、厩舎を訪れ、パートナーの様子を窺った。こうして、いよいよレース当日の25日を迎えた。
 日が落ち切らず、まだ26度もある気候の中で、バスラットレオンがゲートに納まった。
 「昨年はアウトサイダーだったので、今年の方が自信を持って臨めます。昨年、このレースを勝った後、ヨーロッパを回ってバーイードと戦う等した事で、着実に力をつけています」
 矢作調教師はそう言って送り出した。
 そして、ゲートが開くと2番手を追走。最後は抜け出してくるか?!と期待を懸けたが、残念ながら思ったほど伸びて来ない。それでもズルズルと後退する事もなく、3頭出走した日本勢の中では最先着となる4着で、ゴールイン。2着とは僅か1馬身ほどの差で、ディフェンディングチャンピオンとしての矜持は見せた一戦となった。
 「ハナを切れれば良かったのですが、最低限2番手での競馬というのは、レース前に瑠星と話し合って決めていた位置取りでした。このところ逃げる競馬が続いていたせいか、道中の手応えも悪く見えたけど、いずれにしろ今回は勝った馬が強かったですね」
 矢作調教師は悔しそうな表情をしつつも、冷静にそう言って分析をした。
 
 その約4時間半後、世界最高賞金レース・サウジCの覇者、パンサラッサがパドックに現れた。
 「サウジのダートが合うかどうかは大きな賭けだったけど、それに勝つ事が出来たのは良かったです。ただ、ドバイのダートはまた違うし、15番枠になった事で、正直言って難しい競馬になるとは思っています」
 矢作調教師はそう言ったが、視線を落とす事はせずに、続けた。
 「でも、余計にチャレンジしてやろうという気持ちが強くなりました」
 そんな伯楽とのパドックでの会話を、吉田騎手は次のように述懐した。
 「矢作先生からは『思い切って乗ってパンサらしい競馬してください』と言われました」
 その後、跨ると、鞍下から気合いの乗る素振りを感じ取った。
 「僕が乗ると気が入るのはいつもの事です。ただ、サウジの時以上にテンションが上がってしまい、イレ込んだという感じでした」
 サウジアラビアでは早目にゲート裏へ行き、1頭にして落ち着かせた。しかし、ドバイの2000メートル戦はスタート地点がスタンド前。サウジアラビアの時と同じような環境下に連れて行く事は出来なかった。
 「ゲート裏でメンコ(耳覆い)を外したけど、結局、ゲートインするまでずっとピリピリした感じになってしまいました」
 それでも悲観ばかりはしていなかった。
 「多少うるさいくらいの方がスタートで出てくれるので、そういう意味での期待もありました」
 前扉が開くと、そんな思惑が当たったか「スタートは出てくれた」(吉田騎手)。しかし……。
 「外枠なので更に出して行ったけど、内からも引かずに来る馬がいたので、すんなりと逃げる事が出来ませんでした」
最初のコーナーでハナに立てなかった時には早くも「やはり厳しいレースになった」と感じた。向こう正面に入っても内のリモースがなかなか引かない。
「行き切れれば息を入れられたけど、引いてくれないから終始厳しい展開になりました」
やっと先頭に立てたのは向こう正面に入ってから。それでも終始、馬体を並べる他馬がいて、単騎で逃げるという形には持ち込めない。それなのに前半は58秒台のラップを刻み、先行勢には厳しい競馬。4コーナー手前では内からも外からも他馬にかわされ、サウジアラビアの王者は残念ながら早くも一杯。同じ日本調教馬のウシュバテソーロが真っ先にゴールに飛び込んだのとは対照的に、10着に敗れてしまった。
 「立場的にマークされる形になったのは仕方ありません。そうは分かっていてもパンサラッサらしい競馬が出来なかったという悔しさは残ります」
 吉田騎手はそう言って唇を噛んだ。
 一方、矢作調教師は次のように言った。
 「逃げ馬の宿命だし、これも競馬だから仕方ありません。力をつけて、また頑張ります」
 サウジアラビア、ドバイと続いた今回の遠征中に、同師は「競馬なのでいつも勝てるモノではないけど、勝つためにやるしかない」とも「1回の負けでどうこうという話ではない」とも言っていた。“世界のYAHAGI”の口から出るそういった言葉は説得力が違う。今回は負けたかもしれないが、この結果がまた次なる戦いへのステップボードとなる事は疑いようがないだろう。バスラットレオンとパンサラッサの今後の戦場がどの国のどこの競馬場かは分からないが、新たなる物語がまだ続く事を期待したい。