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新規募集馬紹介 ~“通”でこそ唸る魅惑のラインアップ~

 12月14日にシャティン競馬場で行われた香港国際競走は、
97年以降で最多となる7万4千人の大観衆を動員。
1日の馬券売り上げも前年比7.6%アップで
97年以降では最大となる14億6800万香港ドルをマークする盛況となった。

興行としての大成功を支えた背景には、
主催者である香港ジョッキークラブによる
多岐にわたる企業努力があったことは言うまでもないが、
最も大きな要素は、
近年ことに著しい香港調教馬の資質向上にあった。
この日も、4競走のうち3競走において、香港勢が1・2着を独占。
各国から参集する精鋭を相手に自国の代表馬がこれだけ奮戦すれば、
地元のファンが盛り上がるのも道理である。
日本を舞台とした国際競走で
日本馬が圧倒的な強さを発揮するのと同様、
香港を舞台とした国際レースで香港調教馬を撃破するのは、
よほど能力の高い馬をきっちりと仕上げて差し向けないと難しい時代が到来している。

そんな中、外国勢の1頭として大健闘を見せたのが、
G1香港スプリント(芝1200m)で勝ち馬に1馬身足らず
及ばぬ3着に入った日本代表馬ストレイトガールだった。

香港スプリントはかつて1000mという距離設定だったが、
香港調教馬が圧倒的に強すぎて国際競走の体を成さず、
1200mに距離変更になった過去を持つレースだ。
すなわち、香港調教馬の水準が非常に高いのがこの距離区分で、
今年も地元勢は、
国際G1・3勝のラッキーナイン、
3月にドバイに遠征してG1ゴールデンシャヒーンを制している
スターリングシティらをはじめとして分厚い布陣を敷いていた。
そこに、欧州から
14年のカルティエ賞最優秀スプリンターのソールパワー、
G1・3勝馬ゴードンロードバイロンが参戦。
更に、ここも短距離路線の水準が高い豪州から、
3つのG1を含む重賞10勝という強豪バッファリングが参戦と、
誠にもって錚々たる顔触れが揃っていたのが今年の香港スプリントだった。

そんな中、14頭立ての13番という不利な枠からスタートしながら
好位をとりに行く積極的な競馬をし、
直線入り口では一瞬「勝ったか?!」と思わせる
見せ場を作ったのがストレイトガールだ。
エアロヴェロシティ、ピニアフォビアという
地元の新興勢力2頭にこそ先着を許したものの、
その他の強豪を退けた同馬は、
まさに世界でも一級品の力を持つ
スプリンターと高く評価されることになった。

その、ストレイトガールを姉に持つ募集馬が、
ネヴァーピリオド’14である。

世界屈指のスプリンターの半妹というだけで、
多くを語る必要はなさそうだが、
敢えて付け加えるとすれば、
父はフジキセキからマンハッタンカフェに変わったものの
同じサンデーサイレンスの直仔で、
ワンアンドオンリーやヴィクトワールピサの出現によって
新たなトレンドとして確立された「ヘイローの3×4」の持ち主であり、
なおかつ父マンハッタンカフェの活躍馬の多くが
牝系に保有しているカーリアンを
本馬も母方に保持しているという、
申し分のない血統構成を背景に持っている。

なおかつ、本馬の立ち姿を見ていただければ、
姉に負けぬスピードを持つ個体に育つことが
容易に想像できるとあっては、
この馬に食指を動かすなという方が無理である。


その香港スプリントで、
不運なことに道中他馬と接触し、
このアクシデントをきっかけにフットワークが乱れたため、
鞍上が追うのを止めたのがリトルゲルダだった。

ご存知のように14年のサマースプリントSチャンピオンで、
ストレイトガールとの力量比較から言っても、
能力を充分に発揮出来ていれば
掲示板は間違いなかったと思うと、
実に残念な競馬であった。

そのリトルゲルダを姉に持つ募集馬が、ビジューミス’14である。

まず、本馬の母ビジューミスは、
これまで競走年齢に達した3頭の産駒が、
リトルゲルダを含めて全て3勝以上しているという、
非常に優れた繁殖牝馬であることを強調させていただきたい。

そして父は、リトルゲルダのクロージングアーギュメントから、
本馬は11年の全米2歳チャンピオン・ハンセンに変わっている。

父ハンセンから、その父タピットというのは米国で今、
最もファッショナブルなサイヤーラインである。
初年度産駒が競走年齢に達した08年以降、
コンスタントに活躍馬を輩出してきたタピットだが、
産駒の動きが一段と加速して大ブレークを見せたのが2014年だった。
BCディスタフを含む4つのG1を制したアンタパブル、
G1ベルモントSなど2つのG1を制したトナリスト、
G1フロリダダービー勝ち馬コンスティテューションなど
9頭の重賞勝ち馬を輩出(12月16日現在)。
同日現在で産駒の通算賞金獲得額は1626万ドルに達し、
07年にスマートストライクが記録した
1436万ドルを大幅に上回る
北米種牡馬年間最多賞金記録を樹立して、
リーディング首位を独走しているのがタピットである。

15年の公示種付け料がなんと30万ドルという同馬。
14年に北半球で開催された市場で購買された
40頭のタピット産駒の平均価格が61万1125ドル、
約7300万円という驚異的な数字が残っている。

すなわち、テスタマッタをはじめ
日本でも複数の活躍馬を出しているタピットの仔を今、
日本に連れて来るのは極めて難しく、
それならばと、タピットの最有力後継馬と目される
ハンセンの仔に目を付けたあたり、
いつものことながら広尾TCの先見の明には感服させられる。

本馬はそのハンセンの初年度産駒の1頭で、
子供たちが市場に出回るようになれば
高値で取引されることになるだろうから、
このタイミングでの輸入というのも、
実に機を見るに敏な広尾TCらしい施策と言えよう。

しかも、これだけ流行の血脈であるにもかかわらず、
募集価格が2,200万円というのは、いかにもお買い得だ。
この馬もまた、食指を動かすなという方が無理な1頭である。


今年の香港国際競走で静かな話題となっていたのが、
ディープインパクト産駒の香港初参戦だった。
自他とも認めるスーパーサイヤーの仔が、
これまで香港では走ったことがなかったというのは意外な気もするが、
しかし、初年度産駒が6歳であることを考えると、
驚くほどのことでもないようだ。

香港マイルに2頭出走していたディープ産駒のうち、
直線で内を突いて鋭い末脚を繰り出したのがワールドエースで、
勝ち馬のエイブルフレンドこそ1頭抜けたものの、
2着馬からは頭+半馬身差の4着に健闘した。
同馬の近走の成績からすれば好走で、
「切れ味」というこのサイヤーラインが持つ特性の一端を
披露することは出来た競馬だった。

いまや誰もが喉から手が出る勢いで欲している
ディープインパクト産駒が、募集馬の1頭であるアスクコマンダー’13である。

これもまた、ディープ産駒というだけで多くの説明は要らないが、
敢えて付け加えさせていただくとしたら、
本馬の注目点は牝系3代目にある。

まず、母の父コマンダーインチーフの父が、ダンシングブレーヴなのだ。
86年の凱旋門賞で、英ダービーで、
競馬史に残る伝説の末脚を繰り出した、20世紀の最強馬である。

そして、本馬の3代母が、89年の桜花賞馬シャダイカグラなのだ。
大外枠を引き、若き日の天才・武豊が
「わざと出遅れた」と言われる大胆な騎乗を見せ、
最後の一完歩で頭差差し切って見せた、
あのシャダイカグラである。

同馬もまた、日本競馬史に残る伝説の末脚の遣い手であった。
シャダイカグラ、ダンシングブレーヴ、そしてディープインパクトの形質が
凝縮したアスクコマンダー’13は、
いったいどれほどの切れ味を持つ競走馬に成長するのか。
配合表を眺め、柔らか味のある実馬の写真を手にしているだけで、
果てしなく夢の広がる1頭である。


香港マイルでは残念ながら本領を発揮出来ずに終わったが、
4月に豪州のランドウィック競馬場で見せたパフォーマンスの印象が
いまも鮮烈なのがハナズゴールである。

彼女が制したG1オールエイジドSというのは、
150年近い歴史を誇る伝統の一戦で、
1889年と90年にはカーバインが連覇、
1939年から40年にかけてアヤックスが3連覇、
2000年と02年にはサンラインが優勝と、
過去の勝ち馬には豪州を代表する名馬の名が並ぶ、
極めて重要な競走である。

ハナズゴールが成し遂げた快挙は、
もっともっと讃えられてしかるべきで、
同様にして、この遠征を敢行し、
的確なレース選択で大きな成果を得ることが出来た
馬主のマイケル・タバート氏は、
ホースマンとして最大級の賞賛を贈られてしかるべきだと思う。

そのマイケル・タバート氏とパートナーシップで馬を持ちませんか、
というのが、WITH募集というタイトルで12月に売り出された4頭である。
世界の競馬と言えば、馬主の多くが富豪で、
自ら生産するにしろ市場で調達するにしろ、
豊富な資金力を背景に揃えた持ち駒で競馬に臨む、
というイメージを持たれている方も多いかと思う。
競馬の世界には確かにそうしたお大尽も少なくなく、
競馬や馬産が彼らに支えられている側面もあるのだが、
しかし一方で、気のあったもの同士、
あるいは、競馬感を同じくする者同士が、
パートナーシップを組んで1頭の競走馬を共有するということも、
実に頻繁に行なわれているのが世界の競馬である。

欧州で言えば、
14年の英愛ダービー馬オーストラリアをはじめとした、
愛国のクールモアグループの所有馬は、
ほとんどがこうしたパートナーシップによる所有だし、
北米でも14年の年度代表馬候補となっている
3歳2冠馬カリフォルニアクローム、
BCクラシック1番人気のシェアドビリーフらは、
複数の人間が持つ共同所有馬である。
ホースマンとして天性のひらめきを持つ
タバートさんをパートナーとして馬主ライフを楽しめる
WITH募集」は、実に興味深い新機軸と言えよう。

ムーンライトゼファー’13は、
ジャスタウェイ、ヌーヴォレコルト、ワンアンドオンリー、アドマイヤラクティと、
14年に国内外で4頭ものG1勝ち馬を出した、
「今をときめく」ハーツクライの産駒である。


母の父は、日本産馬にして豪州で種牡馬入りしたという
異色の経歴を持つムーンロケットだ。
豪州の重賞入着馬スカイロケットが、
豪州のチャンピオンサイヤー・ザビールを受胎して輸入され、
00年1月に日本で産んだのがムーンロケットである。

同年のセレクトセールに上場され、
日本人には馴染みの薄い血統にも関わらず
5千万円で購買されているから、
ムーンロケットは当歳の頃から馬の出来は良かったようだ。
2歳9月に新潟のダート1200mの新馬戦を
9馬身差でぶっちぎって初勝利を挙げているが、
その時の馬体重が576キロという超巨漢で、
さすがに脚元がもたず3戦しただけで引退。

その競走能力の高さと、
何よりもザビールの直仔という血統を見込まれて
母の生国で種牡馬となったが、
残念ながら6歳で早世したため、
残された産駒は少ない。

ちなみにムーンロケットの1つ年下の弟が、
G2弥生賞3着などの成績を残したメテオバーストである。

また本馬の配合的特性の1つが、
祖母ゼファーズテストが
豪州の大種牡馬スターキングダムの3×3というインブリードを
保有している点にある。

そして本馬の父系3代目はヘイローで、
スターキングダムとヘイローを合わせ持つ近年の名馬に、
2011/12年、2012/13年と、
2シーズン連続で香港年度代表馬の座に輝いた
アンビシャスドラゴンがいることを、ここでぜひ付記しておきたい。

ムーンロケットが持っていた底知れぬパワーとスピードが、
配合の妙と、サンデーサイレンスの力を借りて覚醒すれば、
途轍もない能力を持つ競走馬に育って不思議のない馬と言えそうだ。


父が14年のフレッシマンサイヤーチャンピオンのハービンジャーで、
母の父がサンデーサイレンスという
ジョイフルスレージ’13の血統背景については、
改めてここに記すまでもあるまい。


おそらくは、日本の競馬における
近未来のニックスになるであろう配合を持つ馬が、
募集価格2000万円というのも、
良心的という以外に言葉の見つからぬ価格設定である。


シャープナー’13は、ハナズゴールと同じオレハマッテルゼの産駒だ。

そして、本馬の母の父スニッツェルから、
リダウツチョイス、デインヒルと遡る父系は、
世界で今、最も勢いがあるサイヤーラインの1つである。
例えば前述した、
香港国際3競走で1・2着した6頭の香港調教馬のうち、
3頭は配合表のトップラインがデインヒル系だった。
その直仔リダウツチョイスは、
豪州でリーディングの座に3度就き、
種付け料が日本円換算で3千万円を
上回った年もあったスーパーサイヤーである。

そしてリダウツチョイスの直仔スニッシェルは、
初年度産駒が6歳になった2013/14年シーズンに、
父リダウツチョイスに次ぐリーディング第2位に躍進。
豪州競馬史上初めてとなる、
親子によるリーディング1・2フィニッシュを達成した、
このサイヤーラインにおける最有力後継種牡馬の1頭である。

ゴールドグレイス’13もまた、
オレハマッテルゼの産駒だ。

父は13年10月に他界しているから、
残された貴重な産駒の1頭である。

そして、本馬の母の父ロンロから、
オクタゴナル、ザビール、サートリストラムと遡る系統もまた、
豪州が世界に誇るサイヤーラインである。
リーディングの座に6度就き、
南半球のノーザンダンサーと呼ばれたサートリストラム。
産駒がメルボルンCを3度制したザビール。
仏国にシャトルされ欧州でも
G1勝ち馬を輩出したオクタゴナル。
そして、G1に11勝して年度代表馬となり、
種牡馬としても2011/11年にリーディングの座に輝いたロンロ。
この比類なき豪州血脈とサンデーサイレンス系の融合によって生まれた本馬もまた、
お手頃な募集価格もあいまって、
食指を動かさざるをえない1頭と言えそうである。

まさに、”通”でこそ唸ってしまう、魅惑の血脈が揃ったのが、新規募集の7頭だ。
皆様も今一度、その配合をよく吟味されて、
充実の馬主ライフをご堪能いただきたい。
 
合田直弘(Naohiro Goda)
1959年東京生まれ。父親が競馬ファン。週末午後は必ずテレビが競馬中継。1982年大学卒業、テレビ東京入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動。競馬中継製作に携わり、1988年退社。その後イギリスで海外競馬を学ぶ日々を過ごし、テレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。